こんにちは。
スタジアムデイズ、運営者の「KEN」です。
2024年、大谷翔平選手の加入によって日本中が熱狂の渦に包まれているロサンゼルス・ドジャース。
連日のようにニュースでその青いユニフォームを目にする中で、ふと「ドジャース(Dodgers)って一体どういう意味なんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?
実はその名前には、野球というスポーツの枠を超えた、19世紀のアメリカ都市史における「意外な交通事情」と「市民のサバイバル術」が深く関係しているのです。
一般的には「避ける人」という意味で知られていますが、彼らは一体「何を」避けていたのでしょうか。
そして、なぜロサンゼルスという車社会の街に移転してもなお、その名前を使い続けているのでしょうか。
「ドジャース」の「語源」や「由来」、そして「意味」に関する歴史を深く知れば、毎日の試合観戦が単なるスポーツ観戦から、アメリカの歴史探訪へと変わるはずです。
今回は、チーム名に隠された驚きのストーリーや、時代とともに変化してきたブランドの変遷について、どこよりも詳しく、そして分かりやすくお話しします。
- 「ドジャース」という名前が生まれた意外なきっかけと本当の意味
- 「ブライドグルームス(花婿たち)」など過去に使われていたユニークなチーム名
- ロサンゼルスに移転してもチーム名が変わらなかったビジネス的な理由
- ユニフォームの「赤い番号」やロゴデザインに隠された歴史的背景
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ドジャースの語源と誕生の歴史
ドジャースという名前は、単にかっこいいから、あるいは強そうだからという理由で付けられたわけではありません。
そこには、19世紀末のニューヨーク・ブルックリンで暮らす人々の、ある「命がけの日常」が色濃く反映されていました。
まずは、その意外なルーツから紐解いていきましょう。
「トロリー・ドジャース」の意味と由来
結論から申し上げますと、ドジャース(Dodgers)の語源は「トロリー・ドジャース(Trolley Dodgers)」、つまり「路面電車(トロリー)を避ける人たち」という意味です。

この言葉が生まれた1890年代、当時のブルックリンでは急速な都市化とテクノロジー革命が進行していました。
それまでブルックリンの市民の足といえば、馬が客車を引く「馬車鉄道(ホース・カー)」が主流でした。
しかし、1892年頃から電力を用いた最新鋭の交通システムである「路面電車(エレクトリック・トロリー)」が導入され始めると、街の景色は一変します。
電気モーターで走るトロリーは、馬車とは比較にならないほどのスピードとパワーを持っており、都市の移動速度を劇的に向上させました。
現代の私たちの感覚からすれば、路面電車は「チンチン電車」として親しまれるのどかな乗り物に見えますが、当時の市民にとっては、まさに未知のテクノロジーであり、ある種の「恐怖の対象」ですらあったのです。
当時のトロリーの最高時速は約20マイル(約32km/h)ほどでしたが、歩行者が行き交う雑多な通りを、重たい鉄の塊がこの速度で疾走することは、当時の交通ルールや市民の感覚からすれば脅威そのものでした。
インフラ整備も追いついておらず、複雑に入り組んだ路線網が街中を網羅し始めたことで、ブルックリンは「鉄の迷路」へと姿を変えていきました。
ブルックリンの路面電車を避ける市民たち
では、なぜ路面電車がそこまで恐れられ、人々は「避ける」必要があったのでしょうか。
その背景には、当時の技術的な未熟さと安全意識の欠如がありました。
導入されたばかりの電気トロリーは、加速性能に優れる一方で、ブレーキ性能が十分ではありませんでした。

運転士が危険を察知してブレーキをかけても、重い車両はすぐには止まれず、悲惨な人身事故が多発してしまったのです。
さらに厄介だったのが「音」の問題です。
従来の馬車であれば、馬の蹄の音やいななきが接近を知らせてくれましたが、電気モーターは比較的静かであったため、歩行者が背後から迫るトロリーに気づかずにはねられるケースが後を絶ちませんでした。
当時の新聞、例えば『ブルックリン・デイリー・イーグル』紙などは、連日のように「死のトロリー(Deadly Trolley)」による死傷事故をセンセーショナルに報じていました。
1895年には大規模なストライキも重なり、トロリーを取り巻く環境は殺伐としていたと言われています。
当時のドジャースの本拠地であった「イースタン・パーク」や、後の「エベッツ・フィールド」周辺へ観戦に向かうためには、ファン自身がこの危険な路面電車の線路をいくつも横切り、猛スピードで走ってくる車両を巧みに「かわす(dodge)」必要がありました。
(出典:MLB公式『Los Angeles Dodgers team name history』)
ドッジボールと同じ「避ける」という言葉
ここで少し、言葉の意味について掘り下げてみましょう。「ドジャース(Dodgers)」の語幹である「Dodge」は、英語で「素早く身をかわす」「さっと避ける」「巧みに逃れる」という意味を持つ動詞です。
日本人の私たちにとっても馴染み深い、学校の体育で遊んだスポーツ「ドッジボール(Dodgeball)」と全く同じ語源であると言えば、イメージしやすいのではないでしょうか。
ドッジボールは飛んでくる「ボールを避ける(Dodge)球技」ですが、ドジャースは迫りくる「路面電車を避ける(Dodge)人たち」です。対象こそ違いますが、どちらも「身を守るために素早く動く」という能動的な動作が名前の由来になっています。
「避ける」という言葉には、一見すると「逃げる」というネガティブなニュアンスが含まれているように感じるかもしれません。
しかし、当時の文脈においては、近代化の波に飲み込まれそうになりながらも、機敏さと賢さを持って生き抜く「都会人のたくましさ(Street Smart)」を象徴する言葉でした。
ただ漫然と歩いていては事故に遭うような危険な街で、注意深く周囲を見渡し、危険を回避して生き延びる能力。
それこそが「ドジャース」という言葉に込められた真の意味であり、当時のブルックリンっ子たちのプライドでもあったのです。
つまり、ドジャースというチーム名は、単なる交通事情の描写を超えて、ファンのアイデンティティそのものを表していたと言えるでしょう。
チーム名の変遷と歴史的な背景
現在でこそ「ドジャース」という名前は不動のものとなっていますが、実は最初からこの名前が定着していたわけではありません。
そのため、チームの特徴や監督の交代、あるいはユニフォームの色が変わるたびに、コロコロと呼び名が変わるのが当たり前だったのです。
例えば、創設初期の1880年代には、ユニフォームの色がグレーだったことから単純に「ブルックリン・グレイズ(Brooklyn Grays)」と呼ばれていました。
また、かつてブルックリンに存在した伝説的なチームの名を借りて「アトランティックス」と名乗った時期もあります。
このように、ドジャースの歴史は「名前探しの旅」でもありました。
ファンやメディアがその時々のチームの状況を反映して自由に名前を付け、それが自然淘汰されていくというプロセスは、現代のマーケティング主導のネーミングとは全く異なる、古き良き時代の野球文化を感じさせます。
「ブライドグルームス」など過去の名称
ドジャースの歴史をさらに深く遡ると、現代の感覚では思わず笑ってしまうような、ユニークすぎるチーム名がいくつも存在します。

その中でも特に有名なのが、1888年頃から使われ始めた「ブルックリン・ブライドグルームス(Brooklyn Bridegrooms)」です。
「ブライドグルームス」とは、日本語で「花婿たち」という意味です。
なぜ屈強な野球選手たちを「花婿」と呼んだのでしょうか。
その理由は、1888年のシーズン前後にかけて、チームの主力選手たちが示し合わせたかのように次々と結婚したからです。
当時の新聞記者たちはこのおめでたいニュースを面白がり、「おい、また誰かが結婚したぞ」「まるで花婿の集団だな」と書き立てたことで、この奇妙なニックネームが定着しました。
強そうなスポーツチームの名前とは程遠いですが、当時のチームとファン、そしてメディアの距離感の近さや、アットホームな雰囲気が伝わってくるエピソードです。
また、1899年からは「スーパーバス(Superbas)」という名前も使われました。
これは当時ニューヨークで大人気だった曲芸劇団「ハンロン・ブラザーズ」の代表的な演目『スーパーバ』に由来しています。
当時の監督がネッド・ハンロンという名前で、劇団と同じ姓だったことから、記者が洒落を利かせて名付けたのです。このように、当時のチーム名は野球そのものだけでなく、社会現象や芸能文化とも密接にリンクしていました。
| 時期 | チーム名(通称) | 由来・背景 |
|---|---|---|
| 1883年〜 | アトランティックス | かつて存在した有名チームの名を借用 |
| 1885年〜 | グレイズ | ユニフォームの色がグレーだったため |
| 1888年〜 | ブライドグルームス | 主力選手が相次いで結婚したため(花婿たち) |
| 1899年〜 | スーパーバス | 有名劇団の演目と監督の姓(ハンロン)を掛けて |
| 1914年〜 | ロビンス | 名将ウィルバート・ロビンソン監督の愛称から |
ロビンスから現在のドジャースへ
20世紀に入ると、チーム名は再び変化します。
1914年にウィルバート・ロビンソンが監督に就任すると、彼の愛称である「アンクル・ロビー」にちなみ、チームは「ブルックリン・ロビンス(Brooklyn Robins)」と呼ばれるようになりました。
この名称は彼が監督を務めた約18年間という長期間にわたって使用され、1916年や1920年のリーグ優勝時もチームは「ロビンス」として知られていました。
しかし、その間も「ドジャース」という名称が完全に消滅したわけではなく、ファンの間では根強く使われ続けていたようです。
転機が訪れたのは1932年です。
そこで球団は、ブルックリンの新聞記者たちに投票を依頼し、公式ニックネームを決定することにしたのです。
この時、ドジャースの最大の対抗馬として挙がっていたのが「キングス(Kings)」という名前でした。
ブルックリンがある行政区画が「キングス郡」であったことから、威厳のある名前として有力視されていたのです。
しかし、記者たちは長年ファンに親しまれてきた愛着のある「ドジャース」を選択しました。
翌日の新聞には「ブルックリン野球クラブは公式に『ドジャース』とあだ名される」という見出しが躍り、ユニフォームの胸に初めて「DODGERS」の文字が刻まれることになったのです。

もしこの時「キングス」が選ばれていたら、大谷選手が着ているユニフォームのロゴも全く違うものになっていたかもしれません。
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ドジャースの語源から見るブランドの進化
名前が正式に決まった後も、ドジャースは時代に合わせてそのブランドを進化させ続けてきました。
ここからは、現在の私たちがよく知る「ドジャース」のビジュアルやアイデンティティがどのように形作られてきたのか、その知られざる秘密に迫ります。
ロサンゼルス移転後も名前が変わらない理由
1958年、ドジャースにとって最大の転換点が訪れます。
長年親しまれたニューヨークのブルックリンを離れ、西海岸のロサンゼルスへ本拠地を移転したのです。
ここで歴史的な矛盾が生じました。
当時のロサンゼルスは急速に発展する車社会であり、ブルックリンのような「路面電車(トロリー)」が走り回る街ではなかったからです。
アメリカのスポーツ界では、本拠地移転に伴ってチーム名を変更することは珍しくありません。
例えば、湖の多いミネアポリスからロサンゼルスに移転したNBAのレイカーズは「湖の人たち」という名前を維持しましたが、これは例外的なケースとも言えます。
本来であれば「トロリー・ドジャース」という由来はロサンゼルスにはそぐわないものでした。
しかし、ドジャースは名前を変えませんでした。
その最大の理由は、すでに「ドジャース」というブランドが絶大な価値を持っていたからです。
1947年のジャッキー・ロビンソンによる人種差別の壁の打破や、1955年の悲願のワールドシリーズ制覇などを通じて、「ドジャース」の名は全米、あるいは世界中に轟いていました。オーナーのウォルター・オマリーにとって、この歴史と栄光が詰まったブランド名を捨てることは、ビジネス上あり得ない選択肢だったのです。

また、同時期にライバルのニューヨーク・ジャイアンツもサンフランシスコへ移転しており、西海岸でも「ドジャース対ジャイアンツ」という伝統のライバル関係を継続させるためにも、名称の維持は不可欠でした。
こうして、路面電車のない街で「路面電車を避ける人たち」という名前が使われ続けるという、歴史的なパラドックスが生まれたのです。
ユニフォームの赤い番号とテレビ放送
ドジャースのホームユニフォームをよく観察してみてください。
胸のロゴの左下、お腹のあたりに「赤い番号」が入っていることに気づくはずです。
これは他の多くの球団には見られない特徴的なデザインですが、実はこれ、1952年にドジャースがメジャーリーグで初めて導入した画期的なアイデアなのです。
導入のきっかけは、当時急速に普及し始めていた「テレビ放送」でした。
当時のテレビはまだ白黒放送で解像度も低く、カメラが選手の正面を捉えた際、背番号が見えないため「今映っているのが誰なのか判別できない」という視聴者からの不満がありました。
そこで、球団オーナーは「視聴者が選手を一目でわかるように」と、ユニフォームの前面にも番号を入れることを決断したのです。

では、なぜその番号が「赤色」だったのでしょうか。
それは、胸の「Dodgers」という青いロゴの下で、最も視覚的に目立ち、かつデザインのアクセントとして調和する色が赤だったからだと言われています。
一説には、1951年のワールドシリーズでお披露目するために準備されていたものの、プレーオフでの劇的な敗北(ボビー・トムソンのホームラン)によってお蔵入りとなり、翌1952年の開幕でようやく日の目を見たという「幻のデビュー」のエピソードも残っています。
この赤い番号は、ドジャースが常にメディアやファンのニーズを先取りしてきた革新的な球団であることを物語っています。
ロゴデザインとドジャーブルーの定着
チームカラーである鮮やかな青、通称「ドジャーブルー(Dodger Blue)」も、最初から存在していたわけではありません。
前述の通り、初期はグレーや赤、さらには1937年に一時的に「ケリーグリーン」という緑色のユニフォームが採用されたこともありました。
しかし、この緑色のユニフォームはファンから不評で、わずか1年で廃止されています。

現在の象徴的なロイヤルブルーが定着したのは1938年頃、ラリー・マクフェイルが球団幹部に就任し、ブランディングを一新してからです。
そして、胸に描かれた美しい筆記体(スクリプト)のロゴと、その背後に描かれた「赤いボールの軌跡(シューティング・ボール)」のデザインは、1940年代にかけて完成されました。
1958年のロサンゼルス移転時に、キャップのロゴは「B(ブルックリン)」から「LA(ロサンゼルス)」へと変更されましたが、胸のスクリプト・ロゴとドジャーブルーの色合いは、70年以上経った今でもほとんど変わっていません。

この一貫性こそが、ドジャースというブランドに「揺るぎない信頼」と「伝統の重み」を与えているのです。
トミー・ラソーダ元監督が残した「私の体を切ってみろ、ドジャーブルーの血が流れるだろう」という名言は、この色が単なるチームカラーを超え、関わる人々の魂の一部になっていることを象徴しています。
大谷翔平の加入と新たなファン層
そして2024年、大谷翔平選手の加入により、ドジャースの歴史に新たな1ページが刻まれました。
大谷選手の愛犬「デコピン」の英語名が「Decoy(おとり)」であることから、一部の熱心なファンの間では「Dodge(避ける)」と「Decoy(おびき寄せる)」という言葉の響きや、どちらも駆け引きに関連する言葉であることの類似性が話題になるなど、新しい文脈で語源への関心が高まっています。
大谷選手がドジャーブルーのユニフォームに袖を通すことは、100年以上続く「革新と伝統」の歴史を継承することでもあります。
かつてブルックリンの街角で、命がけで路面電車を避けていた市民たちのたくましさとユーモア。
それが、太平洋を越え、時代を超えて、現代のロサンゼルスで世界最高のプレイヤーと共に新たな伝説を紡ごうとしているのです。
そう考えると、スタジアムで見る「Dodgers」の文字が、より一層輝いて見えてくるのではないでしょうか。
まとめ:ドジャースの語源と伝統の継承
ドジャースという名前は、19世紀の「危険な路面電車」という都市問題に対する、市民のユーモアとたくましさから生まれました。
「花婿たち」と呼ばれた時代や、監督の名前を冠した時代を経て、1932年に正式な名称となり、1958年の大陸横断という大きな変化をも乗り越えて維持されました。
- ドジャースの語源は「路面電車を避ける人たち(Trolley Dodgers)」
- 「Dodge」はドッジボールと同じ「避ける」という意味
- かつては「ブライドグルームス(花婿たち)」という名前もあった
- LA移転後も名前が変わらなかったのは、築き上げたブランドを守るため
- ユニフォームの赤い番号は、テレビ放送で見やすくするための発明だった

次にドジャースの試合を観るときは、ぜひ胸のロゴや赤い番号、そしてその名前に込められた歴史に思いを馳せてみてください。
そこには、単なる野球チーム以上の、アメリカの都市と人々が織りなす長い物語が詰まっています。
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